東海館
とうかいかん
電話/0557-36-2004
時間/9:00~21:00(最終受付20時)
休館日/毎月第3火曜日(祝祭日の場合は翌日)、1月1日
入館料/大人200円 小人100円
住所/静岡県伊東市東松原町12-10
アクセス/伊東駅から約1km(約10分前後)
昭和初期の3階建温泉旅館建築
東海館は昭和3年に稲葉安太郎氏により、温泉宿として松川沿いに開業。昭和13年の伊東線開通により、客層が団体客へ移ると館内を増築、望楼(遠くを見渡すためのやぐら)は昭和24年に建築されました。これまで多くの方に親しまれ賑わいましたが平成9年に廃館。その後、伊東市に寄贈され、大規模な耐震補強を経て、平成13年7月26日に観光施設として見学できるようになりました。1,2階は客室が配され、3階には120畳の大広間があります。また、望楼は隣の旅館いなばと共に伊東温泉の象徴となっています。館内は一部を除き、見事な意匠を施した客室をゆっくり見学できます。当時の職人によって、桧や杉などの高級な木材を使用し、匠の技を凝らした館内の意匠は見応えがあります。
凛とした外観と記念撮影しよう
玄関のある通りから建物を見ると、その大きさに圧倒されます。下見貼りの木造壁は趣があり、通り沿いに付け加えられた竹格子も美しく組まれています。玄関の上を眺めると唐破風になっていて、旭と鶴の彫刻が飾られ細部まで手が込んでいます。
純和風の客室に日本の美を感じます
細部に活かされた匠の技に注目してください。書院の欄間や障子には、幾何学模様や網干し状のデザインが施され昭和初期の温泉情緒を強く感じます。当時の最高レベルの技術がこのデザインから見て取れます。昭和13年(1938)に竣工した新館は、創業者の稲葉安太郎が田中萬作(1階)、森田信良(2階)、山本増衛(3階)の地元で腕の良い棟梁に各階を担当させ、競わせたといわれている部分です。
営業当時の東海館
館内には東海館が営業していた当時の写真やゆかりの品々が展示されています。昭和4年頃の写真と現在と比べると、その規模の違いがよくわかります。
大広間で芸者遊びの夢を見る
3階の大広間は120畳もあり、当時の宴会が華やかに行われていたことが想像できます。また、格子状の天井も素晴らしく、そこから下がる照明も素敵です。
展望階からの大パノラマ
大広間のある3階から階段を上がると望楼に着きます。20畳ほどの空間があり、こちらからは伊東市街を眺めることができます。
愛を感じる彫刻家・重岡健治さんのギャラリー
2階には世界的彫刻家で伊東市在住の重岡健治さんのギャラリーがあります。重岡さんの作品は世界各地にありますが、伊豆半島でも各所で見ることができます。「大地から生まれる作品」をテーマに、男女や家族を題材にした彫刻はどれも愛を感じます。
三浦按針と東郷平八郎を知っていますか?
館内では伊東ゆかりの伊東祐親と三浦按針、東郷平八郎の3人の歴史的人物の展示がされています。
「青い目のサムライ」と呼ばれた三浦按針は本名ウィリアム・アダムスといいます。江戸時代初期に日本に漂着し、日本に様々な知識をもたらしたイギリス人航海士です。船大工としての経験を買われ、家康の命により伊東の浜で80トン、120トンの洋式帆船を日本で初めて建造しました。ウィリアムは帆船建造の功績を徳川家康から賞され、慶長10年(1605)に帯刀を許され、三浦按針と名乗るようになりました。晩年は平戸に居を構え、英国への帰国が叶わないまま、1620年に死去しました。
東郷平八郎は海軍司令長官です。日露戦争でのロシアとの戦いは彼が勝利を導きました。世界最強といわれたロシアのバルチック艦隊を破ったことで世界的に有名になりました。晩年は伊東に別荘(現在の東郷記念館)を持ち、夫人の療養のため昭和8年まで利用されました。
伊東祐親は平安時代末期の武将で、伊豆国伊東(現在の伊東市)の豪族です。伊東の開祖といわれ、展示では伊東祐親の生涯が紹介されています。
喫茶と立ち寄り湯で休憩
1階の川側には喫茶室があります。こちらではコーヒーをはじめ、お抹茶セット、甘味などをお召し上がりいただけます。立ち寄り湯は床から壁まで総タイル張りの大浴場で、人気漫画『テルマエロマエ』の第4巻にて「伊藤温泉東林館」として登場しています。
面作師の驚きの仕事
昭和30年代、伊東市宇佐美の面作師・大久保㐂生(きせい)氏により伊東民芸「魔除どんどろ」が製作され、市内を中心に土産物店で販売されていました。平成の初めまで作られていましたが、製作者が途絶え、廃絶の状態になりましたが、当時を知る人にとってどんどろは大変懐かしいもので、残存する数も限られることから希少価値の高い民芸品となっています。東海館の一室ではこのどんどろが展示されています。他に類がない独特な作風をお楽しみください。